教えるとは 希望を語ること
学ぶとは 誠実を胸に刻むこと(アラゴン) 教育とは学校で学ぶ以上に、外で学ぶ知識・経験の方が
はるかに
有意義であると信じる。
学校の教育機関は、国や社会に役立つ人材の育成を考えて作られていて
本当の意味で、子供達の為になる事を目的としてはいない気がする。
よって、此処に自分なりに子供達に向けて
「希望」を語ろうと思った。
まず最初に今そこで起こっている事を語り、そして最後に「希望」を語ろう。
青年よ、大志を抱け!
それは金銭に対してでも、自己の利益に対してでもなく、
また世の人間が名声と呼ぶあのむなしいものに対してでもない。
人間が人間として備えていなければならぬ、あらゆることをなし遂げるため、
青年よ大志を抱け。
(W・S・クラーク) 「裸の王様」という話を君たちは知っているだろうか?
君たちには、
「王様は裸だよ!」と言える勇気を持って欲しい。
裸の王様に慣れすぎた、大人達の目を覚まして欲しいのだ。
この社会は、
「裸の王様」だらけだ。
大人達は
ゲームを取り上げ、やれ
「バーチャル」だ、
「リセット」だなんて言うが
この世界を支配している、国、民族、宗教はゲームよりも空想じみている。
例えば、紙幣というモノがある。
これに
「実態」を与えてるのは、人々の信じる心(恐怖心と言ってもいいだろう)に他ならない。
そもそも、只の紙を、多くの人がこれは金と同じ価値があると
信じているから、今の経済がなりたってる訳だ。
此処にまず、
「裸の王様」が居る。
ありもしないものを、人々は有り難がっている。
誰しも一度は、何故こんな紙で人生を左右されるのか、おかしいと気づきながら
所謂、
(自称)物わかりのよい大人達は、一人仲間ハズレになることが恐くて
これは
金だ、これは
価値のあるモノだと思いこんでるからこそ、経済はなりたっているのだ。
そして誰かがそれを
指摘し、皆がそれを信じなくなれば紙幣はあっという間に
只の紙になる。
この社会は
「虚構(バーチャル)」で成り立っているのだ。
「国」や
「民族」や
「宗教」もまたそんな
虚構の産物に過ぎない。
そもそも、この世界には、国も民族も宗教も存在しなかった。
何処かの子供じみた誰かが、線を引いて自分の土地だと主張を始めたのが
この虚構の始まりだったのではないか? と思う事がある。
その
虚構(「裸の王様」)は、いつしか人々に信じられる事になり
おかしいと思う人がいても、仲間はずれになることを恐れている内に
「真実」となった。
そして、かつて同じ人間だったモノが、今では自分を
何処かの国の人間何処かの民族、
何処かの宗教に属していると信じてしまった事で分かたれてしまった。
「分ければ対立し、合すれば和する」国と民族と宗教によって分かたれた事によって
人は酷く
残酷になった。
この世界には、明日を生きることができず
飢えや紛争で死んでいく
子供達がたくさんいる。
しかし、大人達はそれを救えてはいない。
救うための力がないから?違う。国や宗教や民族に属してると思いこんでる
弊害が、此処にある。
技術的には可能なのに、自分達とは違う国、自分達とは違う民族、自分達とは違う宗教だと
思うから、
良心の呵責が少なく、
「仕方ない」事として大人達は彼らを見捨てて来た。
同じ
「人間」であるのに、分けられた事によって自分達と同じとは思わなくなってしまったのだ。
食料があっても届くまでに腐ってしまう、などと言う話があるが
届くまでに
腐る要因は、
技術的なモノではない。
国や民族や宗教の
「壁」が、人を救う
「道」を阻んでいるのだ。
そしてそれは
「会社」も同じ事。
高価な薬が買えずに死んでいく人間がこの世界には大勢いる。
値段を下げて、あるいは無償で供給すれば救えたかもしれない命がどれ程あるだろうか?
そういう人間がいることを知っていて、抜本的な対策をしてこなかったのは
結局、
「人類」よりも
「会社」を大事にしているからだ。
考えてもみるといい、この社会に在るあらゆる「裸の王様」(私は「カテゴリー分け」と呼んでいるが)
それを無くす事ができれば、どれ程の命が救われるのだろうか?
最近、偽装問題が連続して発覚してるが、これも
「会社」という虚構な楽園を
守るために、社会と民をないがしろにしている結果起きたモノだ。
「分ければ対立し、合すれば和する」分けることによって大人達は、争いの火種をこの世にまいてきた。
そして、何千年も同じ事を繰り返している。
しかし、大人になってしまうと
「自己保身」が
「正しい事」をする事を妨げてしまう。
そんな自分を、
「家族の為」「会社の為」「国の為」と必死に言い訳をして正当化して
生きているのが、今の社会、今の大人達なのだ。
彼らに
力がなかったわけではない。
ただ単に、
自分達(国、宗教、民族)の生活を守るために、
人類の未来(若い命)を見捨てただけだ。
私は、君たちにはそんな
大人になって欲しくはない。
若い君たちだからこそ、出来ることがある。
大人になり、何かの
組織に属してしまうと、その組織の目線で考え始めて
自分が
「人」で在ることを見失ってしまう。
でも、君たちは違う。
肩書きがなくては己れが何なのかもわからんような
阿呆共の仲間になることはない。(南方 熊楠)肩書きは愚か者の飾りにすぎない。自分の名だけで十分だ。 (フリードリヒ2世)人間は、人間である。位や、肩書や、富など、見せかけだけの飾りではないか!
誠実な人間こそが、人間の王者なのだ!
知恵の力と、ありのままの人間としての価値こそが、何よりも高い位なのだ! (ロバート・バーンズ)「肩書き」が付く前の君たちならば、お互いを対等な一個人として
認め合えるはずだ。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」大人達は、人の上に人を、人の下に人を造り
支配し、支配される社会を造った。
でも、君たちならこんな
不条理な世界を打破する事が
できるはずだ。
誰もが対等で、皆が協力し合える世界を
創造する事が可能なはずなのだ。
なんてことはない。
皆で口を揃えてこう言えば良いのだ。
「王様は裸だよ!」と。
大人達の
「常識」は、君たちの
「常識」ではない。
君たちの
行動如何で、
変えていけるモノなのだ。
どうか、君たちの手でこの世界を救って欲しいのだ。
歪み歪になってしまった
「虚構の楽園」から、人々を解放して欲しい。
道を逸れてしまった
大人達を、
正しい道に戻すのだ。
他の誰でもない、若い君たちの手で。
君たちこそが、人類の
「希望」なのだ。
先に生まれた者として、後に続く者達の為に
より良き世界を構築する
「礎」として、此処に記そう。
テーマ : 子育て・教育 - ジャンル : 学校・教育
ところでこの記事の趣旨と合っているかは分かりませんが…、
次長課長(河本準一、井上聡)というコンビ芸人がいます。
http://www.fandango.co.jp/talent_prf/action/TalentProfileDetailSearchAction?unitId=10181&talentId=0
そしてその井上さんという人はかなりの天然ボケというかマイペースというか、常人とはかなり違う思考回路を持っていると思われます。
まず、あるお笑い雑誌のインタビューで「相方に言いたい事は?」と訊かれ
河本さんは「もっと男に磨きをかけてさらに男前になれ!」とコンビ愛あふれるコメントをしました(井上さんは芸人の中でもイケメンと言われてます)。
井上さんは2つ挙げ
1つは「移動中寒いから窓を開けないでほしい」とインタビューではなくその場で直接言えばいい事をわざわざ(?)言い。
2つめは「あとドラマを2、3本やってほしい。その間自分が休めるから」とコンビで頑張ってるとは思えない回答をしたそうです。
実際、河本さんは芸人ですがたまにドラマ(脇役ですが)などでピンの仕事が入ります。しかし井上さんはその時「やった、自分は休める!」と本気で喜んだそうです。
勿論河本さんのピンの仕事のギャラは全部河本さんだけに入ります。普通コンビで片方だけに仕事が入ったときその相方はいい気分になれないでしょう。
恐らく井上さんにとっては
「たとえ活躍して収入が増えても仕事が増えるのなら、少しくらいは休みが多い方がいい」
なんでしょう。
>大人達の「常識」
何が言いたいかといいますと、この井上さんのように大人でありながら「大人達の常識」を持ち合わせていない「希望」を託せるような大人もいるのかもしれない、といいますか…(笑)。
最後までまとまってなくてすみません。
書いてみたら長くなってしまいました。すみません。
一応、だからといって次長課長は仲が悪いわけではありませんし、井上さんも入った仕事を怠けたりはしていないと思います。